今回のメインである白人神社の奥宮、磐境神明神社に向かう
この急峻な階段の先にある
古代倭国建国から存在する可能性が高い
鳥居などもなく、独特である
この磐境神明神社はユダヤの礼拝所に様式が似ていると言われ、
イスラエル大使が訪れたこともあるそうだが、
画像データでも比較のしようがなかった
倭国(邪馬台国)建国につながるキーワードが隠されているのだろうか
専門家の研究結果を待ちたい
白人神社、磐境神明神社を出て492号線をさらに南下し、三木家住宅へ向かう
三木家は阿波忌部氏の末裔、倭国(大和朝廷)にも関わった
日本でも最も古い氏族である
天太玉命を祖とする阿波忌部
天道根命を祖とする讃岐忌部、紀伊忌部
古代朝廷の祭祀も司った氏族直系が徳島と香川、
和歌山に残っているのはなぜだろうか
少し走ると恋人峠がある
屋島の戦いに敗れた平家の公家達100名余が剣山へ落ち延びる途中、あまりに
道が険しすぎるために恋人と別れたという場所だそうだ
平家もこの道を通って剣山に向かったのだ
でもなぜ剣山を目指したのだろうか
平家は桓武天皇の流れであることは関係しているのだろうか
そうこうしていると看板が見えてきた
さらにこの上か・・
相当な山奥ですよ
ふむふむ。。
さぁ次でラストですよ
つづく
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