蛍にまつわる話



ホタルが飛び交う季節になった。

会社は綾川町にあるので、少し足をのばせば

ホタルが生息できる清流がいくつかある。

毎年一度は会社帰りにホタルを見にいったりする

センチメンタルな俺。


そしてホタルの季節になると、

必ず亡き母とのひとつの出来事を思い出す



母はがんで私が20歳になった9月3日に死んでしまった。

よりによってなぜ俺の誕生日なんだと、

その運命に戸惑っていた俺に、妹がこう言った。

「私はお兄ちゃんが羨ましい。

お母さんはお兄ちゃんが成人するのを見届けて天国へ行ったから」

と。


それから時がたち、


母の死から3年目の俺の誕生日、つまり母の死から3回目の9月3日、

夜暇なので遊びに行こうと友達と2人でダットサントラック620に乗り込もうとしたとき、

どこからともなく強い光を放つ一匹のホタルが飛んできた。

俺の目の前をゆっくりと通過し、

そして夜空に消えた。




終戦末期、特攻で鹿屋基地から飛び立ち、沖縄で散華した

宮川三郎少尉が

翌日、約束通りホタルになって富屋食堂に戻ってきたという

有名な話しがある。

聞いたことがある人もいるだろう。



俺の実家の周りにはホタルが生息できるような

場所も無いし、そもそも9月である。


俺は幽霊なんて信じちゃいないが、あれは母が

様子を見に来てくれたんだと確信した。


何一つ親孝行できないうちに死んでしまってから、

ずっと後悔ばかりしていたけど、

こうして今でも様子を見てくれているのであれば

自分にできる親孝行は一つ。



自分らしく精一杯生きること。



何も聖人になろうというのではない。

真面目一徹、何の欠点もない人生を送ろうというのではない。


自分らしくというのは

ダメなところも含め、ありのままの自分を自分自身で受け入れて、

明るく、楽しく、思いやりの心を忘れず、この一瞬を

真剣に生きることだ。

むしろこれ以外に自分に何が出来るだろうか


そうやって、いつか俺が死んだとき、天国に行って、母と出会えるのであれば

胸を張って、「自分らしく生きただろ?」と言えるだろう。

それが45歳で人生の幕を閉じた母に対する

俺の唯一の恩返しだろう。

そう23歳のときに自分自身に誓った。



まぁ、地獄におちる可能性も大いにあるがね

その時は会えないが、

それはそれで自分の人生だ


























コメント

  1. 川原は決して地獄へ行くようなヤツじゃね~よ!!その気持ちをずっと持ち続けてほしいな。川原のことは尊敬できる仲間のひとりと思っているぜ!!

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