ガチャピン

少し前、県の教育委員会から、

「高校に出向いて、学校教育の抱える問題点について意見を述べてほしい」

という依頼の電話があった。

国や県、市町村が主催するこの手は、本音を言いたくてもメンツや形式が優先され、
体裁だけ整えて終わる鉄板パターンなので興味は全くなかったが、
社長がお世話になっていることもあり、しゃーなしで引き受けた。


案の定、想像通りの内容で終わったのだが(それはいいとして)



事前に送られてきた高校の資料に目を通していたとき、引っ掛かる文章があった。


「人としての在り方や生き方をしつこいくらい教えているが、なかなかわかってくれない」


という学校側の問題提起の内容


人としての在り方

人としての生き方


そんなもん、どうやって教えているんやろか



自分の思う人としての在り方とはこうだ

自分の生きてきた道はこうだった



ということは伝えることはできる

それに共感する人間もいれば、全く違う道を選ぼうとする人間もいるだろう

人は人の心に触れることで、内省し、少しずつ自分という人間の輪郭を

明確にしていくものだと俺は思っている。


明確にしていく作業は、自分自身の在り方を見つける人生の旅でもある。


決して画一的に教えられるものではなく、自分自身探し求めるものだ


ガチャピンを見る度に思う


ちゃんと自分自身と向き合えているかと



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